「世界線」という言葉
あじさいです。
夕刊に、国語辞典編纂者の飯間弘明さんのコラムがあって、昨日取り上げていた言葉が「世界線」というものでした。
引用されてたのが、Official髭男ismの「Pretender」という配信でもずっと上位をキープしている歌の歌詞。
もっと違う設定で
もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
Twitterでだったかな、この言葉を知ったのは。
世界線ていう言葉の温度感がとても好き。世界がひとつじゃなくて複数あるのがデフォルトな感じがいい。
飯間氏も書いてらっしゃるけれど、何かを選んだときに、それを選んでいなかったとしたらあり得た「並行世界」というのを想起させるのだけれど、並行世界と言えば、小沢健二の「流動体について」を思い出す。
もしも間違いに気づくことがなかったとしたら?
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
ある選択、後から全くやり直しのきかない選択というものは長く生きていると所々にあって、その時に悩んだもう一方の選択を選んでいたなら自分はどんな人生を歩いてたんだろうなっていうのは、結構みんな考えてたりするような気がするなぁ。
結婚とかね、出産とかね、選ばなかったほうの自分の今を想像してみたり。
想像してもなにが変わるわけでもないのに。
もう今はコロナのない世界線には行けない世界になってしまったけれど、どうやったらこころおだやかに暮らせるか、考えていきたいなぁと思っています。
今日の一枚
冷蔵庫一掃炊き込みごはん